武蔵大学総合研究機構紀要 「Journal of Musashi University Comprehensive Research Organization」 >
No.17 >
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http://hdl.handle.net/11149/597
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タイトル: | ヴィクトリア時代の女子高等教育 : J.S. ミルとケンジントン・ソサエティ |
その他のタイトル: | Higher Education of Women in Victorian England: J. S. Mill and Kensington Society |
著者: | 舩木, 惠子 |
発行日: | 2008年6月5日 |
出版者: | 武蔵大学総合研究所 |
抄録: | 1840年代以降,イギリスの産業発展は巨大な人口移動を引き起こし,海外移住によって中産階級(ミドルクラス)の適齢期の男性の減少を引き起こしたといわれる。そしてそれによって中産階級の未婚女性たちの非婚化が進んだ。このような人口現象が起きる以前には,いわゆる「女性問題」は表向きには存在せず,社会もそのようなものを無視してきた。しかしこの現象が,社会全体においては人口増であっても中産階級以上の人口が減少するという事態におよんで,いよいよ政府が社会的危機感をもって政策に取り組みだした。つまり「淑女」たちの非婚化現象は,その時代の国家を担う中産階級の人口減,そして少子化という現実を伴うことで社会問題化したといえるだろう。本稿では社会的,経済的諸要因が,中産階級の女性たちのライフスタイルの変化をもたらし,紆余曲折を経ながらも,やがて彼女たちが女子高等教育への道を目指すまでを,J.S.ミルの議会活動を支援したケンジントン・ソサエティの主要なメンバーたちを中心に述べたい。ケンジントン・ソサエティ解散後,そのメンバーの一部がレディース・カレッジを設立し(現,ケンブリッジ大学,ガートン・カレッジ),女性参政権の獲得(女性参政権運動)に代わってケンブリッジのトライポス(優等卒業試験)の取得によって真の男女平等を獲得しようとした軌跡を分析し,イングランド,特にケンブリッジにおける女子高等教育の発生と結実を示したいと思う。19世紀ヴィクトリア朝の社会は,社会階級によって明確に階層化し,しかも性差によっても区別されていた。中産階級の女性たちに要求されたのは「淑女」,労働者階級の女性たちに要求されたのは「善良な女」というダブル・スタンダードが社会に存在した。したがって女子教育に関しても労働者階級とそれ以上の階級では明確に区別されていた。労働者階級の女子は,いくつかの労働者向けの学校で最低限の教育を慈善によってほどこされていたのに対して,中産階級の女子教育は各家庭に任されていたので,女子に投資するよりは男子に投資したほうが,見返りが大きいと,しばしば女の子は「間に合わせの教育」をされた。しかしイギリス資本主義が成熟するにしたがって教育の質の問題が表面化するようになると,その後労働者階級の初等・中等教育が公立学校化する中で,教育は政府による介入という形をとりながら,中央集権化への道をたどることになる。しかし中産階級の女子教育については,様々な形態をとりながら,やがてレディース・カレッジ設立という,労働者階級の教育とはまったく異なる発展をする。そこで重要なのは中産階級の女性たちが初めて各自の意思により,グループや協会を設立し、自らの「女性問題」を解決しようとしたことである。また男子だけに許されていた地方試験の女子学生への認可を勝ち取ったことは,彼女たちの最初の突破口となった。ここではケンジントン・ソサエティがJ.S.ミルを議会に擁立し,女性参政権の獲得のために全国的に署名を集めるキャンペーンを張った事実過程を分析し,とかくヴィクトリア期のフェミニズムがブルジョワ的であるとの批判があるなかで,中産階級の女性たちが真に活動した意味を把握し,それが現代的にも共有できることを主張する。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/597 |
出現コレクション: | No.17
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