武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2008年度・2009,No.11 >
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http://hdl.handle.net/11149/266
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タイトル: | 「市民」概念の歴史的再検討 |
その他のタイトル: | A Historical Reconsideration of "Simin(Citizens)" |
著者: | 松井, 隆志 MATUI, Takasi |
発行日: | 2009年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 「市民」の語は今も盛んに用いられるが,実際には概念規定が曖昧だ。「市民」概念が肯定的ニュアンスを醸しながらかくも空洞化しているのはなぜか。本稿は,「市民」の誕生・定着の時代である1960年代の議論からその概念を再構成し,その歴史的文脈と有効性を探ることで,上記の問題を解明する。「市民」概念は1960年代の「市民運動」の議論の中で練り上げられたが,60年安保闘争にしろべ平連運動にしろ,そこでの「市民」像は矛盾をはらみ,実体を適切に記述したものとも言えなかった。そうであるにもかかわらず,「市民」概念が普及しえたのは,「市民」が既成の主体・運動の残余概念だったからだ。つまり「その他」の主体として名指されたのが「市民」であった。このことが,「市民」の指向性や特徴が相矛盾しながらも,「市民」の境界線を実体化させた。だが,1970年代以降の労働運動・学生運動・新左翼運動といった既成の主体・運動の陥没は,必然的に残余概念としての「市民」の境界を曖昧にした。「市民」概念の現在は,こうした歴史性とその構図の変化に起因していると考えられる。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/266 |
出現コレクション: | 2008年度・2009,No.11
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