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2008年度・2009,No.11 >
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http://hdl.handle.net/11149/263
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タイトル: | イデオロギーとしての父親不在について : 「非社会的問題行動」を事例として |
その他のタイトル: | Discourses on Fatherlessness : Perspectives on Antisocial Behavior: Futoukou and Hikikomori |
著者: | 加藤, 敦也 KATOU, Atsuya |
発行日: | 2009年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 本稿は不登校やひきこもりなど「非社会的問題行動」と呼ばれてきた現象を事例とし,その中で述べられてきた二つの相反する家族像について考察することで,父親不在論に込められた理念と実態の乖離について検討するものである。「1」では,歴史学者のジョン・ギリスが指摘する「生活指針としての家族」(Gillis 1997)という概念を紹介し,社会の実態に関わらず,家族の理想像は家族それ自体のものとして構築されていくという考察を示した。「2」では土居建郎による『甘えの構造』(土居1971)と林 道義による『父性の復権』(林1996)という著作で示された父親不在論について検討し,それらが父親を社会的権威の象徴として捉えているという共通点を持つものの,実態を反映しない幻想であることを指摘した。「3」では川島武宣の思想を紹介しながら,家族に込められた戦後の理想と実態の乖離という観点から,家庭内暴力を具体例とし,その中で父親が父権と民主主義という二つの理念で語られる傾向性を示した。「4」ではイデオロギー論の観点から,父親不在論が社会構造的問題を家族規範に還元していることを示した上で,父親不在の実態は労働と子育ての共存不可能性にあることを明らかにした。結論では父親が産業社会と性別役割分業という構造的な要因の中で,依然として親密な関係から疎外されやすいという実態を示した。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/263 |
出現コレクション: | 2008年度・2009,No.11
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