武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2007年度・2008,No.10 >
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http://hdl.handle.net/11149/256
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タイトル: | 不登校における父性言説をめぐって |
その他のタイトル: | A Study of Fatherhood Represented in Discourses on Futoko(Non-Attendance at School) |
著者: | 加藤, 敦也 KATOU, Atsuya |
発行日: | 2008年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 本稿では不登校問題に関連して言及される父親論に見出せる核家族規範について考察する。1章では,今日の社会で理想とされる核家族規範が不登校の当事者にとって抑圧的に機能するという問題提起を行う。2章では不登校の要因論と父親をめぐる言説を検討し,その要因論が個人と家族を問題視する言説と学校や社会制度を問題視する言説に分かれる中で,前者が性別役割分業に基づいて父親の役割を社会性の象徴として期待するのに対し,後者がそれを子どもへの抑圧として否定する構図を明らかにした。3章では父親論を性別役割分業について異なる見解を示す2つに大別し検討する中で,どちらも夫婦の協同を強調するという共通点があることを指摘する。本稿はその共通点を核家族規範とし,それが夫婦の自助努力を重視する点で,不登校の要因としての制度上の問題を隠し,それを個人や家族の問題に還元するように作用することを示す。また核家族規範の外部に対する閉鎖的な特徴は,家庭内で完結してしまう暴力などの特殊な家族関係の問題を生み出しているという課題を示した。結論では上記の問題を踏まえ,不登校の子どもの親の会を例とし,それが核家族に止まらない親密圏であること,また国家や市場の公共性とは異なる公共性を含意する組織として機能していること,そしてそこへの父親の参加は不登校の子どもを取り巻く二元論的な公共性を相対化する意義があることを示した。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/256 |
出現コレクション: | 2007年度・2008,No.10
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