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2021年度・2022,No.24 >
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http://hdl.handle.net/11149/2409
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タイトル: | 国家の教育権の問題構成 |
その他のタイトル: | A Study on the Problems of Educational Authority That the State Authorities Claim To Have |
著者: | 加藤, 敦也 KATO, Atsuya |
発行日: | 2022年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 本稿の目的は,国家が教育内容を決定する権利を持つとする国家の教育権説の問題について,教育行政による政策の歴史的展開と教育権の所在を巡って問題となった事例を検討することにより,考察するものである。日本国憲法の制定に伴い,国民主権の原理に基づき,教育についてはその内容を決定し,統制する権利の主体は国民であると想定されてきた。また,戦後すぐは平和主義と民主主義を謳う憲法理念に沿った教育が希求された。しかし,1950年代に突入すると,朝鮮戦争を契機とした占領軍の方針転換に伴い,日本に再軍備化が求められ,そのために国家が愛国心教育を唱導すべきだという教育政策が求められることとなった。また教育勅語を模範として1947年教育基本法改正と憲法改正を目論む政治家の思惑もあり,教育を中央集権的な教育行政を通じて国家が統制しようとする法律が整備された。歴史学者の家永三郎が提起した教科書検定問題も,全国的な規模で日教組の教員が抵抗した学力テスト問題も国家が教育内容を画一的に決定することの是非が問われた事例である。どちらの事例も1947年教育基本法第10条第1項の「不当な支配」を訴え,国家による教育内容への介入が不法であると強調した。しかし,1999年に国旗・国歌法が成立し,2006年に教育基本法が改正されて以降は,法律が国家の教育権を支持する状況ができた。これは思想・良心の自由を規定する憲法および子どもの権利条約に抵触する問題である。 |
内容記述: | 研究ノート Research Notes |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/2409 |
出現コレクション: | 2021年度・2022,No.24
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