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武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2020年度・2021,No.23 >

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タイトル: マオリであるということ―自画像と他者像の再検討―
その他のタイトル: Being Maori in New Zealand Today: A Reexamination of the Images from Both Sides
著者: 内藤, 曉子
NAITO, Akiko
発行日: 2021年3月22日
出版者: 武蔵社会学会
抄録: 本論の目的は,現代のニュージーランド社会において,「先住民マオリであるということ」の意味を再考することである。ニュージーランドは先住民マオリとイギリス系民族,およびさまざまな地域からの多様な移住者から成り立つ移民国家である。マオリの先住権と市民権の相克,ニュージーランド国家における「国民像」の創生を考えるうえで,また,クライストチャーチ銃乱射事件以降の民族関係をめぐる社会の動向をみていくなかで,「マオリであるということ」の再検討は重要な意味をもつ。具体的には,他者像として国勢調査におけるマオリの位置づけの変遷やメディアの描き方,人々の語り,自画像としてはマオリらしさの指標とされる「ティカンガ・マオリ(マオリの作法)」をとりあげる。まず,国勢調査においては,「人種」概念からエスニシティ概念への変遷をみていった。現在,マオリであるという申告はエスニック・アイデンティティ,祖先とのつながり(血統)や出自集団の申告と,すべて自己申告制である。メディアにおいては,報道機関自らがマオリに対する長期にわたるバイアスを告白し,公式に謝罪をした事例をとりあげ,マオリの劣位性やステレオタイプ,スティグマの再生産の影響を検証した。一方,「ティカンガ・マオリ」にみられる人々とのつながり,相互扶助,思いやりといった価値観は,ニュージーランド社会が目標とする「多様性をうけとめる包摂的な社会」に有効であることを指摘した。
URI: http://hdl.handle.net/11149/2231
出現コレクション:2020年度・2021,No.23

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