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武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
 
2001年度・2002,No.4 >
 
    
        
            
                
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                http://hdl.handle.net/11149/210
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| タイトル:  | <研究ノート>男性性の社会学的考察のために |  
| その他のタイトル:  | <Research Note> Toward a Sociological Study of Masculinity |  
| 著者:  | 田中, 俊之 TANAKA, Toshiyuki |  
| 発行日:  | 2002年3月22日金曜日 |  
| 出版者:  | 武蔵社会学会 |  
| 抄録:  | 男性性を社会学的考察の対象とするためには,どのような視角が有効なのか。本稿は,この問いについて検討を行うものである。筆者の構想する男性性の社会学的考察とは,「男性」が示す「本質的」な特徴として男性性を把握し,分析しようとするものではない。たいしかに日常生活において,人びとは,ある人が「男性」であるならば,その人には男性性が備わっていると考えている。しかし,それはまったく逆であり,ある「身体的差異」に男性性というカテゴリー装置が適用されることによって,ある人が「男性」だと見なされているにすぎない。そのため,「男性」の持つ「本質的」な特徴としての男性性という認識がいかにして構築されるのか,という過程に焦点をあてた考察が必要となる。そして,この「男性」という構築物を,既存の性別秩序の再編成を伴ったかたちで,いかにして「解放」するのかという道筋を示すことが,男性性の社会学的考察の意義であるし,目的でもあろう。こうした理路を十全に展開する準備段階として,本稿は位置づけられる。はじめに,日本における男性学の取り組みを,「自分」という立脚点を中心に整理し,その可能性と限界を指摘する。次いで,これまでのジェンダー研究を概観し,男性性の社会学的考察に必要となる,男性性や「身体的差異」などの諸概念を定義づける。最後にまとめとして,「男性」と仕事の関係を取り上げることによって,どのような男性性が「男性」の「本質的」な特徴として構築され,「男性」を抑圧しているのかを検討する。 |  
| URI:  | http://hdl.handle.net/11149/210 |  
| 出現コレクション: | 2001年度・2002,No.4
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