武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2019年度・2020,No.22 >
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http://hdl.handle.net/11149/2098
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タイトル: | ニュージーランド社会の理想像と実像―多様性と包摂性の両立をめざして― |
その他のタイトル: | The Ideal and the Real of New Zealand : Toward a Society with Both Diversity and Inclusiveness |
著者: | 内藤, 暁子 NAITO, Akiko |
発行日: | 2020年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | ニュージーランドは先住民マオリとイギリス系民族,およびさまざまな地域からの多様な移住者から成り立つ移民国家である。2019年,オーストラリア人の白人至上主義者によって引き起こされたクライストチャーチ銃乱射事件は,まさにグローバル化のなかで生まれたイスラモフォビアと市民社会の軋轢の産物である。本稿の目的はクライストチャーチの事件が起きた背景,および,その後の社会の反応や人々の言葉を通して,ニュージーランド社会における亀裂や分断,および多様性と一体性を考察することである。まず,先住民マオリからすれば,テロの容疑者がムスリムを「侵略者」と位置づけたことは,ヨーロッパ系の人々こそが侵略者であった歴史に対する無理解であり,事件が「もっとも悲惨な虐殺」と報道されたことも,土地戦争で起きたマオリ虐殺を無視されたことになる。ところが,主流社会はそのことをまったく問題視しなかったのである。一方,アーダーン首相の融和的で象徴的な言動はグローバル社会から注目を集めるとともに,「多様性と包摂性」というキーワードが人々を分断よりも連帯へと導いた。首相の言動をスタンドプレーで表層的であるとする批判はあるが,若い人々を中心に多様性への流れはもう後戻りができない,との主張もみられる。そこで,本論ではその多様性を共に支え合うという価値観の共有や包摂性は今なお脆弱であり,ニュージーランド史の必修化やマオリ語に対する草の根レベルの取り組みなどが肝要であることを指摘した。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/2098 |
出現コレクション: | 2019年度・2020,No.22
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