武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2000年度・2001,No.3 >
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http://hdl.handle.net/11149/194
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タイトル: | 産児調整運動の言説について |
その他のタイトル: | Of Discourses of Birth-Control Movement in Japan |
著者: | 石井, 幸夫 ISHII, Yukio |
発行日: | 2001年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 本稿は,今世紀初頭大正期から昭和期にかけて起こった,避妊による生殖管理を主張する社会運動である産児調節運動が展開する言説の編成がいかなるものであるかを考察し,この運動の本態の一端を明らかにしようとするものである。産児調節運動の言説編成原理として,「自己(自己決定)」,「優生学」,(優生学を含む)「科学」を指摘し,最後に産児調節運動のその後について,特に以下の問題を考える。1930年代末政府主導の生殖管理政策が推進されて産児調節運動は解体する。政府の生殖管理政策の中核は国民優生法であるが,その成立に際して政府が連携依拠した言説は産児調節運動の言説と何が異なり,何が同じであったのか。戦後,国民優生法に代わって(戦後の生殖管理意識の変容をもたらし日本社会に対して大きな影響力を持った)優生保護法が制定される。この優生保護法はいかなる言説によって構成されていたのか。その生殖管理の言説はいかなる言説の系譜の中から現れたのか。本稿は産児調節運動の言説と政府のそれとの差異を優生学の解釈に求め,優生保護法は産児調節運動の言説の延長上にあると主張する。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/194 |
出現コレクション: | 2000年度・2001,No.3
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