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1998年度・1999,No.1 >
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http://hdl.handle.net/11149/185
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タイトル: | 疎外された病理としての神経症 : E.フロム社会心理学の観点から |
その他のタイトル: | Neurosis of the alienated pathology : from the point of view of Erich Fromm's Social Psychology |
著者: | 村澤, 啓 MURASAWA, Satoru |
キーワード: | 神経症 疎外 偶像崇拝 |
発行日: | 1999年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 本稿では,現代社会における「神経症」に見られる特性について,E.フロムの社会心理学の観点から論究する。「神経症」という用語は,1980年に出された国際診断基準(DSM-Ⅲ)から削除され,代わって各症状が細分化されて扱われるようになった。しかし神経症は依然として近代社会以降の「文明病」としてみなされている側面があることから,本稿ではあえて「神経症」という語を取り上げ,現代社会における人間に対する社会的影響という観点からその構図を見ていくことにする。1章では,神経症が現在,精神医学や心理学で考えられているその特徴を確認する。2章では,フロイトの神経症論に対するフロムの批判を取り上げるとともに,フロムの神経症論の特徴を見ていく。3章では,フロムのとらえた神経症における「偶像崇拝的指向」という観点から,神経症を,人間を取り巻く諸関係からの「疎外された病理」として見ていく。特に,現代社会における数量化・抽象化といった感覚と,性格構造の中核としての「市場的性格」の影響とから,人々は人生の確信となるような<価値あるもの/こと>を見失ってしまっていることを取り上げる。そしてその<価値あるもの/こと>に代わって,自身にまつわる「何か」を偶像として投影することにより,神経症状が発症するに至るということを論じていく。最後に,4章では,人々に確信を与える「共通感覚」=「常識」が,「匿名の権威」となっていることを取り上げ,権威を求める歪んだ形式としての神経症の発症可能性について示唆していく。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/185 |
出現コレクション: | 1998年度・1999,No.1
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