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    <title>DSpace コレクション: 2002-03-22</title>
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    <description>2002-03-22</description>
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    <dc:date>2026-04-21T00:28:00Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://hdl.handle.net/11149/209">
    <title>なぜ「マナー・モード」なのか : 公共空間における道徳的規範の成立条件</title>
    <link>http://hdl.handle.net/11149/209</link>
    <description>タイトル: なぜ「マナー・モード」なのか : 公共空間における道徳的規範の成立条件
著者: 榎本, 環
抄録: 携帯電話の利用者が，電車やバスの車内で，他者への配慮をともなった利用のありかたへと自らの行為を制約するようになるという変化は，いかなる条件のもとで，いかなるプロセスによって起こりえるだろうか。利用マナーが取得されるプロセスは，個人の内面的規範によって自主的に実践されるケースと，諸個人間の説得的コミュニケーションによるケースに二分される。後者のコミュニケーション形態は，身体的メッセージによる説得と直接的言明による説得に分類される。さらに，直接的言明による説得については，それが依拠するロジックに従って，合理的根拠の提示，規範の内容とその拘束力の強調，感情的な反発，対象水準での個人的依頼などの類型を想定することができる。それぞれのケースにおいて利用マナーが取得されるときの前提条件とプロセス，およびその際の問題点を，具体的な場面に即して考察する。</description>
    <dc:date>2002-03-21T15:00:00Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://hdl.handle.net/11149/210">
    <title>&lt;研究ノート&gt;男性性の社会学的考察のために</title>
    <link>http://hdl.handle.net/11149/210</link>
    <description>タイトル: &lt;研究ノート&gt;男性性の社会学的考察のために
著者: 田中, 俊之
抄録: 男性性を社会学的考察の対象とするためには，どのような視角が有効なのか。本稿は，この問いについて検討を行うものである。筆者の構想する男性性の社会学的考察とは，「男性」が示す「本質的」な特徴として男性性を把握し，分析しようとするものではない。たいしかに日常生活において，人びとは，ある人が「男性」であるならば，その人には男性性が備わっていると考えている。しかし，それはまったく逆であり，ある「身体的差異」に男性性というカテゴリー装置が適用されることによって，ある人が「男性」だと見なされているにすぎない。そのため，「男性」の持つ「本質的」な特徴としての男性性という認識がいかにして構築されるのか，という過程に焦点をあてた考察が必要となる。そして，この「男性」という構築物を，既存の性別秩序の再編成を伴ったかたちで，いかにして「解放」するのかという道筋を示すことが，男性性の社会学的考察の意義であるし，目的でもあろう。こうした理路を十全に展開する準備段階として，本稿は位置づけられる。はじめに，日本における男性学の取り組みを，「自分」という立脚点を中心に整理し，その可能性と限界を指摘する。次いで，これまでのジェンダー研究を概観し，男性性の社会学的考察に必要となる，男性性や「身体的差異」などの諸概念を定義づける。最後にまとめとして，「男性」と仕事の関係を取り上げることによって，どのような男性性が「男性」の「本質的」な特徴として構築され，「男性」を抑圧しているのかを検討する。</description>
    <dc:date>2002-03-21T15:00:00Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://hdl.handle.net/11149/211">
    <title>価値の技術 : 消費行動にみるアタイの転化</title>
    <link>http://hdl.handle.net/11149/211</link>
    <description>タイトル: 価値の技術 : 消費行動にみるアタイの転化
著者: 宇賀神, 綾子
抄録: 消費は，個人にとって，意図と意味を伴う社会的行為である。実際には，欲求に基づき，モノを通して見出した価値を志向し，その価値志向を充足することにある。価値は，行為の主体に帰属している。価値を認知し選別しているのは，行為者の側である。だが，モノそれ自体が，最初から価値という存在を内包しているのではない。人が認知し，価値として成立しているものは，モノの持つ属性に拠る。価値は，モノが表すものでありながら，モノには無く，人の側にある。モノの属性は，アタイとして，人の判断によって換算される。それは，社会的技術である。アタイは個別に計られ，そこから価値が派生する。価値を規定し実践する技術は，モノの属性をアタイとして個々に選り分け，計る上で働いている。価値は，人に創られるものである。モノの属性は，計られるためにアタイとして捨象され，計られることによって，アタイは価値へと転化している。</description>
    <dc:date>2002-03-21T15:00:00Z</dc:date>
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  <item rdf:about="http://hdl.handle.net/11149/212">
    <title>二つの&lt;レリヴァンス&gt; : シュッツとエスノメソドロジー研究</title>
    <link>http://hdl.handle.net/11149/212</link>
    <description>タイトル: 二つの&lt;レリヴァンス&gt; : シュッツとエスノメソドロジー研究
著者: 矢田部, 圭介
抄録: 本稿では，シュッツの現象学的社会学とエスノメソドロジー研究とに共有されているレリヴァンスという語が，それぞれの議論のなかでどのような位置を占め，どのような機能を果たしているかを明らかにすることをとおして，両者のあいだの連続と断絶のひとつの側面を提示することを試みる。フッサールの「主題－地平」構造に関する議論を引き継ぐシュッツのレリヴァンス論には，二つの方向性をみることができる。ひとつは，トピック・解釈・動機の連動メカニズムや状況へのかかわりの区分などと呼ばれる主題の系列であって，レリヴァントであることに焦点化された議論である。もう一方は，類型とそれを規制する論理と呼ばれる地平の系列であり，相対的にレリヴァントではないことに焦点化された議論である。そして，さらにシュッツは，これらの中間領域として，相互行為の問題系を示唆している。エスノメソドロジー研究は，現象学的社会学から見ると，事実上，この相互行為の問題系に焦点した研究であるように思われる。しかし，エスノメソドロジー研究でのレリヴァンスという言葉は，状況とふるまいの相互反映性を示し，相互行為の自律性と閉鎖性を強調するものとして使用される。そして，このことによって，エスノメソドロジー研究は，シュッツがレリヴァンスという言葉を用いて行った研究の二つの方向性を，相互行為を論じる際に不必要な外部へ向かう議論として，拒否することになるのである。</description>
    <dc:date>2002-03-21T15:00:00Z</dc:date>
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