DSpace コレクション: 2000-03-22
http://hdl.handle.net/11149/148
2000-03-22
2024-03-28T16:05:54Z
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身体・リズム・メディア : ラジオ体操ができた頃を中心に
http://hdl.handle.net/11149/189
タイトル: 身体・リズム・メディア : ラジオ体操ができた頃を中心に
著者: 竹村, 洋介
2000-03-21T15:00:00Z
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エイジズムとしての老年観の要因に関する実証的研究 : 農村既婚女性を対象とした家族規範との関連分析
http://hdl.handle.net/11149/190
タイトル: エイジズムとしての老年観の要因に関する実証的研究 : 農村既婚女性を対象とした家族規範との関連分析
著者: 小坂, 啓史
2000-03-21T15:00:00Z
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<研究ノート>ジャーナリズムの理念型
http://hdl.handle.net/11149/191
タイトル: <研究ノート>ジャーナリズムの理念型
著者: 中, 正樹; 栗田, 宣義
抄録: ジャーナリズムを理念型として定義すると,それは,当該言説の志向が報道と記録に向けられ,当該言説が自らの権威によって解説と論評を加え,そして当該言説が反権力をとなえることによって特徴づけられる,マス・メディアに依拠した活動となる。これに近似した具体的媒体は,世界中で観察されることだろう。しかし,すべての要件を厳密に満たした媒体はどこにも存在しないかもしれない。また,たとえ存在したとしても,それがわれわれにとって最善のコミュニケーション・ツールである訳でもない。歴史的に形成されてきたジャーナリズムを抽象化し,事後的に理念型として提示したのが本稿の定義だからだ。
2000-03-21T15:00:00Z
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理解社会学における「科学」と「日常」 : 「価値自由」と「実践」
http://hdl.handle.net/11149/192
タイトル: 理解社会学における「科学」と「日常」 : 「価値自由」と「実践」
著者: 平林, 創太
抄録: 本論文は,マックス・ヴェーバーによる「価値自由の要請」の意義を,特に「理解社会学」における「科学」と「日常」との相互関係から考察したものである。本稿の第一章において,このヴェーバーの両概念を彼の実証的な研究から考察したメルロ=ポンティの『弁証法の冒険』の中の該当部分が取り上げられる。そしてヴェーバーの議論はこれら両概念間の相補性によって担われ,それゆえ「真理」とは相対的なものにすぎないことが確認されるが,ヴェーバーはそれを徹底していたわけではないということも同時に示される。続く第二章,第三章においては,第一章とは対照的に,ヴェーバーの実証的な研究からではなく,彼の科学論に実際に依拠し,この両概念の相互関係に関するヴェーバー「理解社会学」の基礎的な定式が考察される。その際それは「日常心理学」という用語およびその基礎づけに関する考察を通じておこなわれ,その結果ヴェーバーの「科学」の領域は「日常」によって鋭く規定されており,それゆえ「価値自由の要請」はたんに「科学」における倫理主義に止まるものではないことが示されている。
2000-03-21T15:00:00Z