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武蔵大学総合研究機構紀要 「Journal of Musashi University Comprehensive Research Organization」 >
No.16 >

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タイトル: 「『お湯殿の上の日記』にみられる薫物・匂い袋下賜」 : 後土御門天皇期から霊元天皇期
その他のタイトル: The imperial grant of "Takimono ・ Nioibukro" : on "Oyudono no ue no nikki"
著者: 本間, 洋子
発行日: 2007年6月30日
出版者: 武蔵大学総合研究所
抄録: 薫物は,香木や各種香料を粉末としたものを蜜や甘葛で練り合わせて作り上げた練香であり,香炉で注き,熱せられて芳香を放つ。唐代の調合法が伝えられたことに端を発し,平安時代の貴族社会において薫物製作は盛んに行われたが,武家社会になると香木を単体で用いるようになり,薫物は南北朝期以降は廃れたとされてきた。ところが,天皇近侍の女房の日記である『お湯殿の上の日記』には,その後も薫物や匂い袋下賜の記事が多数散見する。本研究では,室町後期である文明年間から近世前期の貞享年間まで約二百年にわたり,同日記中の薫物・匂い袋下賜を抽出し,下賜対象者や背景を考察した。通説では既に姿を消したとされてきた薫物は,実際は正親町天皇期,後陽成天皇期をピークとして,天皇により製作され,実に数多く下賜されていたことが明らかとなった。同日記の初期では,下国する公家へ饒として下賜がみられ,下向先に禁裏御料所が存在する場合には貢納の督促を促す意味も持っていた。足利将軍家による幕府の崩壊により,新たな勢力が政権を掌握するとその武家への薫物下賜が行われる。それは信長入京後に始まり,秀吉,家康へと続くが,新興勢力の権力や朝廷への経済的援助に対し,天皇側は王朝文化を継承する薫物を贈った。香木自本間洋子体は時代の権力者が多く所持し,それを献上もしたが,薫物はあくまでも上位者から下位者へと天皇から臣下に下賜されるものであったのである。次政権が豊臣か徳川であるか揺れている時期には両者へ下賜がされており,政権がいずれに傾いても朝廷の安泰を期待した配慮であったといえる。その後,徳川家世襲による幕府が安定してくる時期には,薫物下賜記事は減少していくのである。匂い袋の下賜も陰暦の夏を中心に多数みられたが,下賜対象者が薫物とは異なり,薫物を下賜される政権把握者の家臣に多く贈られていることがわかった。匂い袋は薫物のように注く必要はなくそのままで香るため簡便な下賜品として重宝された。匂い袋も安定政権下では五月五日の節句の祝儀の品として天皇親族へ配られる物となる。薫物や匂い袋は小さな物ではあるが,戦国期以後の動乱の時代に天皇自ら調合し,朝廷の無事を託した下賜品であったといえる。
URI: http://hdl.handle.net/11149/407
出現コレクション:No.16

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