武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2023年度・2024,No.26 >
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http://hdl.handle.net/11149/2598
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タイトル: | 日常に切り目を入れるグラフィティ・アート |
その他のタイトル: | Graffiti art : Make a cut in everyday life |
著者: | 大屋, 幸恵 OHYA-SATO, Yukie |
発行日: | 2024年3月22日 |
出版者: | 武蔵社会学会 |
抄録: | 「芸術」という現象は,各時代の芸術の機能や芸術家の立場をよく反映したものである。近代において芸術は,ハイカルチャーとして上流階級のために存在していた(と言っても過言ではない)。しかし,ある種の共通した美に対する価値観を失ったポストモダン期には,他の領域と同様に「個人化」を余儀なくされる。そういった社会構造の変化に連動した人々の意識の変化ついて,本論文では「監視社会」を取り上げ,現代の人びとが個人の生活の「安心・安全」ためには「見られる」こと,すなわち,監視されることを厭わずいとも簡単に自由を引き渡してしまっていること,さらに,デジタル化の浸透によって社会の一員であることを示すために,個性や個人的価値観を捨て去ってしまった個人がデータ化されている状況,つまり,個人の<生身の>身体が消失するプロセスについて指摘した。グラフィティについても,本来は,支配された公共空間(社会)へ痛烈な批判や異議申し立てを含むカウンターカルチャーであり,監視の目を掻いくぐりつつ貧困や人種差別といった社会問題を可視化するきっかけでもあったが,事例として挙げた英国・グラスゴー市の「ミューラル(壁画)」は,市当局の管理・運営の下に描かれており,街の再生の資源というまさに「パブリック」・グラフィティ・アートとなっていることから,従来の「意味内容(シニフィエ)」とは異なるものになっている。反体制を掲げて始まったシュルレアリズム運動もいつしか芸術の一ジャンルとして吸収,制度化され,人びとは,そして,アーティスト自身もミュージアムでシュルレアリズム作品が展示されることが当たり前だと認識するようになっている。同様に,1960年代から始まったグラフィティ・アートもまた,現在では企業が広告に利用するなど社会・経済の変化とともに体制に取り込まれることによって「カウンター・パワー」は減退していると言わざるを得ない状況にあり,アートの領域だけではなく,社会における位置づけもまた変化していることが明らかになった。 |
URI: | http://hdl.handle.net/11149/2598 |
出現コレクション: | 2023年度・2024,No.26
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