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武蔵社会学論集 : ソシオロジスト 「The Sociologist : Journal of the Musashi Sociological Society」 >
2006年度・2007,No.9 >

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タイトル: 60年代映像メディアに表象された“日本人の顔”
その他のタイトル: The Face of the Japanese" as Depicted in the Visual Media of the Sixties
著者: 戸田, 桂太
TODA, Keita
発行日: 2007年3月22日
出版者: 武蔵社会学会
抄録: 本稿は1960年代なかばの映像メディア(映画・テレビ番組)において,市井の人びとの“顔”を映した画面が,構成された映像作品の核をなすものとして登場したという顕著な傾向に着目し,その傾向が人びとの時代と社会の認知の仕方に深く関わっていることを検証するための研究ノートである。 具体的な事例としてふたつのドキュメンタリーをとりあげる。ひとつは1964(昭和39)年10月に開催された「東京オリンピック」の公式記録映画『東京オリンピック』である。そこに繁に表象された“オリンピックの観衆としての日本人”の姿や表情の映像は『東京オリンピック』が単に競技の記録としてではなく,第18回オリンピック競技大会を受け入れた,1964年の日本人の体験の集積として記録されていることを物語っている。 もうひとつは東京オリンピックの開催とほぼ同じ時期に放送が開始されたテレビドキュメンタリーシリーズ『ある人生』(NHK)である。ひとりの個人を対象として取り上げたこの番組の大きな特徴は主人公の顔のクローズアップを多用する手法であり,主人公の表情,ことば,姿,しぐさが番組のテーマを構築する主要な契機となっていることであった。 1960年代半ば,人びとは映画館のスクリーンやブラウン管の画面に向き合い,映像を通じて他者の顔(日本人の顔)を見つめることで同時代の社会を認知するという,極めて意識的な行為をはじめて経験した。それは観客・視聴者にとっては,時代と社会を発見する契機でもあった。
URI: http://hdl.handle.net/11149/251
出現コレクション:2006年度・2007,No.9

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