DSpace コレクション: 1999-03-22
http://hdl.handle.net/11149/147
1999-03-22
2024-03-28T14:57:18Z
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疎外された病理としての神経症 : E.フロム社会心理学の観点から
http://hdl.handle.net/11149/185
タイトル: 疎外された病理としての神経症 : E.フロム社会心理学の観点から
著者: 村澤, 啓
抄録: 本稿では,現代社会における「神経症」に見られる特性について,E.フロムの社会心理学の観点から論究する。「神経症」という用語は,1980年に出された国際診断基準(DSM-Ⅲ)から削除され,代わって各症状が細分化されて扱われるようになった。しかし神経症は依然として近代社会以降の「文明病」としてみなされている側面があることから,本稿ではあえて「神経症」という語を取り上げ,現代社会における人間に対する社会的影響という観点からその構図を見ていくことにする。1章では,神経症が現在,精神医学や心理学で考えられているその特徴を確認する。2章では,フロイトの神経症論に対するフロムの批判を取り上げるとともに,フロムの神経症論の特徴を見ていく。3章では,フロムのとらえた神経症における「偶像崇拝的指向」という観点から,神経症を,人間を取り巻く諸関係からの「疎外された病理」として見ていく。特に,現代社会における数量化・抽象化といった感覚と,性格構造の中核としての「市場的性格」の影響とから,人々は人生の確信となるような<価値あるもの/こと>を見失ってしまっていることを取り上げる。そしてその<価値あるもの/こと>に代わって,自身にまつわる「何か」を偶像として投影することにより,神経症状が発症するに至るということを論じていく。最後に,4章では,人々に確信を与える「共通感覚」=「常識」が,「匿名の権威」となっていることを取り上げ,権威を求める歪んだ形式としての神経症の発症可能性について示唆していく。
1999-03-21T15:00:00Z
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アルフレッド・シュッツにおける多元的現実論と「われわれ」 : ベルクソニアンとしてのシュッツ再考
http://hdl.handle.net/11149/181
タイトル: アルフレッド・シュッツにおける多元的現実論と「われわれ」 : ベルクソニアンとしてのシュッツ再考
著者: 平林, 創太
抄録: 本論文は,アルフレッド・シュッツの理論に対するベルクソンの影響について考察したものである。本稿の第1節において,虞松渉による,主に『社会的世界の意味構成』に焦点を当てた研究をもとに,シュッツの現象学的社会学が,その根底における他者理解の文脈において,ベルクソンからの影響を受けていることが確認される。それは,特に他者の体験流との共実存という論理において顕著であり,シュッツは当初,この議論を自らの考察の根源的な基底性をもつものとして考えていた。しかし,そうであるとすると,シュッツの議論は単独の自我を前提とする独我論的考察でありうることも同時に示される。続く第2節,第3節においては,シュッツによるベルクソンの理論に関するいくつかの言及をもとに,後期シュッツの独自な行き方が探求されるが,それは,「われわれ」関係に関する考察から明らかになることが示されている。それによると,第1節にける,シュッツ現象学的社会学の根底性を担う体験流の共実存の議論は,一方で,自然的態度を前提とした個体主義的なものであると同時に,他方では,そうした個体主義を超越するものでもあり,たんに関係性や個体性への還元を意味するのではなく,両者を配視しえる両義的な性格をもっていることが示されている。
1999-03-21T15:00:00Z
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「呆けゆくこと」にまつわるトラブルのミクロ・ポリティクス : 家族介護者のトラブル体験に関する回顧的「語り」を手がかりに
http://hdl.handle.net/11149/182
タイトル: 「呆けゆくこと」にまつわるトラブルのミクロ・ポリティクス : 家族介護者のトラブル体験に関する回顧的「語り」を手がかりに
著者: 出口, 泰靖
抄録: 本稿の目的は,概して「呆け」といわれる現象を,家族成員のあいだで繰り広げられ,構成されていく「トラブル」という側面から捉えようという試みである。具休的には,「痴呆性老人」と呼ばれる高齢者たちの介護をしている家族成員の「語り」を手がかりに,家族成員たちの体験するトラブルが「呆けゆくこと」として次第に明確化(ア-ティキュレート)されていく過程について「トラ・プルのミクロ・ポリティクス」という概念枠組みを援用して考察した。漠然としたトラブルから「呆け」へとアーティキュレート(明確化)していく過程をみていくと,夫婦関係,家族/親戚関係,医療/福祉サービス,等々の社会的文脈によって, トラブルへの意味づけ,定義,対応がたえず変化したり,維持・持続されたりしていくのが明らかになる。また,「呆け」をめぐるトラブルのポリティクスには,「呆け」の医療化と「介護規範」の高密度化といった要素が大いに影響を与えている。本稿ではその関連性について言及する。さらに,「呆けゆくこと」にまつわるトラブルのミクロ・ポリティクス過程の検討から,「社会問題の構築主義」というクレイム申し立て活動を対象にした研究へのインプリケーションを行なう。
1999-03-21T15:00:00Z
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ラディカル・リフレクシヴィティとエスノメソドロジー
http://hdl.handle.net/11149/183
タイトル: ラディカル・リフレクシヴィティとエスノメソドロジー
著者: 皆川, 満寿美
1999-03-21T15:00:00Z